続・「推し」という言葉の軽さについて。あと「コンテンツ」。

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前に書いた記事の1年前は自分も「推し」っていう言葉を使ってたことに最近気がついた。

使わなくなった・使いたくなくなった理由も最近再認識した。
やっぱり周りの「推し」という使い方が苦手で、一緒の言葉を使いたくなくなった、いつのまにか。

「推し」使ってる人って隙あらば自分の推しを宣伝してくるの何なの...?尊い尊いって、本当に感じてるのか?
推し手帳とかもいきすぎだと思うんだけど。推してるなら自由に推せばいいのに。その手帳のフォーマット必要?

しかし、そもそもデジタル大辞泉によれば...、

「推し」とは『他の人にすすめること。 また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物』とのこと。 もともとは「推薦する」という意味の「推す」であり、「推し(ている)」という現在進行形表現になったのではないかと考えられます。

隙あらば自分の推しを宣伝してくる人は、(うざいけど)言葉の意味としては間違っていないらしい。

でもそれで分かった。やっぱ自分が好きなものは「推し」じゃないや、と。
人におすすめたい・広めたいという欲がないもの。自分のなかで好きだから良い。

「好き」でいえば「コンテンツ」という括りも最近モヤモヤする。うまく言えないけど、コンテンツじゃね〜〜〜し...!と思う。コンテンツってなんか、意図して作られた感。

まぁ案の定 毎回だけどこんな自分に嫌悪感。