沢山の初恋を経験したあとに知る、本当の恋

そこに僕はいた

最近、辻仁成作詞の「ZOO」が改めて最近良い曲だなと思った。様々な人を動物と例えることで、自分もこの世の中で生きていて、自分と同じような悩みを抱えた人間がいるんだよなぁって実感できる。なんか安心する。 こんな良い歌詞を書く辻仁成ってそういえばどんな人なんだろう。「ZOO」と中学のとき国語の教科書に載ってた「新聞少年の歌」と、あとはミポリンと色々あったことぐらいしか知らない…。

というわけで、彼のことを知りたく「そこに僕はいた」を読んだ。

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大人になった今、毎日楽しみにしていた学校はもうない。でも友達たちは、僕が死ぬまで大切に抱えていける宝物なのだ――。少年時代を過ごした土地で出会った初恋の人、喧嘩友達、読書ライバル、硬派の先輩、怖い教師、バンドのマドンナ……。僕の人生において大いなる大地となった、もう戻ってはこないあの頃。永遠に輝きつづける懐かしい思い出を笑いと涙でつづった青春エッセイ。

沢山の初恋

「キャサリンの横顔」という話がある。 キャサリンというのは女の子のニックネームで、辻仁成が通っていた塾に居た女の子。キャサリンはマドンナ的な存在で、辻仁成も含めて仲間の男の子もみんなキャサリンのことが好きだったという。辻仁成のキャサリンに対する恋心が只々純真で、さわやかで懐かしい気持ちになるエッイだ。

その「キャサリンの横顔」にこんな表現がある。

沢山の初恋を経験していたが、多分あのときの感情が僕の本当の恋の第一歩ではなかったかと思うのだ

普通、初恋は誰しも1回きりのはずだ。 しかし辻仁成はキャサリンへの恋心が「本当の恋の第一歩」と述べている。

「本当の恋」って、なんだろう。キャサリンに恋する前に経験してきたという「沢山の初恋」とやらは偽物だったのか?

そうではなくて「本当の恋」とは、大人になって思い返して初めて気づく、今の自分の恋愛の原点・ベースになっている恋のこと。それを「初恋」と呼ぶのだと思う。

「沢山の初恋」で好きだった子達も、確かに好きではあったけれども、感情が未発達が故に、それは恋と呼ぶにはまだ早かったのだと思う。誰しも経験があると思う。

きっと「本当の恋」は「沢山の初恋」を積み上げた先にある。

本当の恋の第一歩

自分の場合は小学校高学年のときに好きだった、同じクラスのO君。辻仁成と同様、O君以前にも好きになった人はいたけれど、自分にとってはあれが「本当の恋の第一歩」だった。

初めての告白。初めての両思い。だけど小学生だからそれ以上のことは起こらない。付き合ってどうこうしたい、というそれ以上の感情がまったく無かったもんなぁ。恥ずかしくて、顔もまともに見れず・口も聞けず。それでも2回ぐらい友達とWデートした…。

小学生の甘酸っぱい恋愛。恋愛と呼べるのかどうかも分からないけど…。 せっかく両思いになれたのに学校では恥ずかしくて話せなかった経験や、周りに知られると動きにくくなることなど、確実に後の恋愛のベースになっている…。

O君は頭が良かったから、小学校卒業後は私立中学へ進んだ。それっきりだ。懐かしい。今どうしているだろう。

「そこに僕はいた」はそんな気持ちを思い出してくれた。